高石市とは、大阪府の南部、大阪・泉州にある市で、西は大阪湾に面しています。北と東は堺市、南は和泉市・泉大津市と接し、面積は11.30平方キロメートルと平坦でコンパクトです。人口は53,297人です(大阪府毎月推計人口、2026年9月1日現在)。白砂青松の「高師浜」で知られた土地で、1966年11月1日に市になりました。明治6年に開設された府営浜寺公園の一部や、国の登録有形文化財の伽羅橋があります。
「高石市って、堺市とどう違うの? 浜寺公園は高石市にあるの?」
高石市を調べ始めると、つまずきやすい点がいくつかあります。北と東の両側が堺市に接していて、市の境目がつかみにくいところがあります。浜寺公園は公式サイトの住所表記が堺市西区ですが、府の資料では高石市側にも広い面積があります。大阪府の統計では「泉北地域」に入り、「泉州」との呼び分けも気になるところです。
南海本線と高師浜線は、高石市内の区間が近年高架になり、古い案内と駅の様子が違うこともあります。そこで、位置と人口、呼び方、歴史、交通、浜寺公園、名所、文化財、市のシンボルと産業を、高石市・大阪府・浜寺公園の公式資料(確認)で順に整理しました。高石市を含む大阪府の泉州地域の範囲と市町は、別の記事で一覧にしています。
この記事のまとめ
- 位置:大阪府の南部にある大阪・泉州の市で、西は大阪湾に面しています。北と東は堺市、南は和泉市・泉大津市と接します。
- 面積と呼び方:面積は11.30平方キロメートルで、東西6.1km・南北4.1kmです。大阪府の推計人口の地域区分では「泉北地域」に入ります。
- 歴史:白砂青松の高師浜で知られ、もとは和泉国大鳥郡です。明治22年に高石村、大正4年に町制、昭和28年に取石村を編入し、1966年11月1日に市になりました。
- 交通:南海本線・南海高師浜線・JR阪和線が通ります。連続立体交差事業で、高石市内の南海本線は2021年5月22日に上下線の高架化を終え、高師浜線は2024年4月6日に高架で運行を再開しました。
- 浜寺公園と名所:明治6年開設の府営浜寺公園は、堺市西区と高石市にまたがります。高石神社・等乃伎神社・専稱寺・高師浜駅などがあります。
- 文化財とシンボル:国の登録有形文化財の井上良尚家住宅・伽羅橋と、府指定の専稱寺の仏像があります。市の木は松、市の花は菊です。
目次
高石市はどこ?大阪府高石市の位置・面積・人口と、泉北・泉州の呼び分け
高石市は大阪府の南部、大阪・泉州にある市で、西は大阪湾に面しています。北と東は堺市、南は和泉市・泉大津市と接し、東西6.1km・南北4.1km、面積は11.30平方キロメートルです。人口は53,297人(大阪府毎月推計人口、2026年9月1日現在)です。
北と東は堺市、南は和泉市・泉大津市、西は大阪湾
市の「位置(地勢)」によると、高石市は大阪府の南部に位置し、北と東は堺市に、南は和泉市・泉大津市にそれぞれ隣接し、西は大阪湾に面しています(高石市「位置(地勢)」)。市は、高石・羽衣・富木の3駅から大阪の中心部まで約20分、関西国際空港まで20数キロメートルの位置と紹介しています。
南で接する和泉市の位置と歴史と泉大津市の位置と毛布のまちは、別の記事で紹介しています。
東西6.1km・南北4.1km、全体が平坦な11.30平方キロメートル
地形は全体的に平坦で、市は「コンパクトな都市」と紹介しています。市域の11.30平方キロメートルは、海面の埋め立ての面積を含めた値です(高石市「高石市のおいたち」)。
人口は53,297人:大阪府毎月推計人口の内訳
高石市の人口は、大阪府毎月推計人口で53,297人、世帯数は23,560世帯です(2026年9月1日現在)。内訳は次のとおりです。
| 項目 | 値 |
|---|---|
| 人口 | 53,297人(男25,115人・ 女28,182人) |
| 世帯数 | 23,560世帯 |
| 面積 | 11.30km² |
| 人口密度 | 4,717人/km² |
大阪府は、令和8年10月1日現在の推計から、令和7年国勢調査の人口等基本集計結果を基に推計する予定と案内しています(大阪府「毎月推計人口(令和8年9月1日現在)」)。
高石市は大阪・泉州?それとも泉北?
大阪府の毎月推計人口の地域区分では、泉州地域は泉北地域(堺市・泉大津市・和泉市・高石市・忠岡町)と泉南地域(岸和田市・貝塚市・泉佐野市・泉南市・阪南市・熊取町・田尻町・岬町)に分かれ、高石市は泉北地域に入ります(大阪府「利用上の注意」)。
この区分では、泉州地域は堺市を含む13市町です。当サイトは、このうち堺市を除く大阪府南部の12市町を紹介の対象にしており、高石市はそのひとつです。対象の市町の一覧は大阪・泉州とは?範囲と各市町の記事にまとめています。
高石市の歴史:白砂青松の高師浜、高石村から1966年の市制まで
高石市は、古くから白砂青松の「高師浜」で知られた土地です。もとは和泉国大鳥郡で、明治22年に高石村、大正4年に町制、昭和28年に取石村を編入し、1966年(昭和41年)11月1日に市になりました。
「音に聞く高師浜」と白砂青松
市の「高石市のおいたち」によると、高石の地は「音に聞く高師浜の」と和歌に詠まれ、「高脚」とも書かれました。昔から白砂青松の美しい所として知られ、持統天皇の代に禁断漁猟区域が定められたときには「高師浜」の地が基準にされたと、市は紹介しています。
市の木の松は、この沿岸の松林にちなんで選ばれました。市は、白砂青松の天然美は「なくなったとはいえ羽衣にわずかにその面影をとどめ」と説明しています(高石市「市の花・木・市章」)。
大工村と王仁の伝え、幕府の直轄地
市は、上古に百済の博士・王仁が工芸技術家の一族を連れて来た関係で、大工村(今の高師浜の一部)の村民の大半が大工を家業とし、明治維新まで京都御所の内匠寮の支配下にあったと紹介しています。ほかの住民は農業・漁業を営みました。
高石はもと和泉国大鳥郡に属し、江戸時代には幕府の直轄地でした。旧国名の和泉国と「泉州」の呼び名は、大阪・泉州の由来と旧国名・和泉国の記事で紹介しています。
葛の葉駅の開設と、日露戦争の俘虜収容所
明治34年3月には、今の高石駅にあたる葛の葉駅が開設されました。明治37・38年の日露戦争の際には、海浜地帯13万坪に俘虜収容所が置かれ、撤去後に道路や下水溝が整えられて住宅地になったと、市は「高石市のおいたち」で説明しています。
市の「高石市の観光スポット」では、明治38年に浜寺から高師浜にかけて約2万8000人のロシア兵を収容する俘虜収容所が設けられ、当時の高石村の人口3500人余りの約8倍にあたったと紹介しています。収容所の年は、市の2つのページで書き方が少し違います。
高石村から町制、取石村の編入、1966年の市制へ
明治22年4月の町村制で高石村(人口3,307、世帯610)が生まれ、大正4年1月に町制を施行しました。昭和28年4月に東隣の旧取石村を編入して町域は6.19平方キロメートルになり、人口の急増と臨海工業用地の造成を経て、昭和41年11月1日に高石市(人口47,650、世帯数12,325)が発足しました。
| 時期 | できごと | 出典 |
|---|---|---|
| 明治22年 (1889年)4月 | 町村制で高石村が生まれる | 高石市のおいたち |
| 明治29年 (1896年)4月 | 大鳥郡から泉北郡に変わる | 高石市のおいたち |
| 明治34年 (1901年)3月 | 葛の葉駅(今の高石駅)が開設 | 高石市のおいたち |
| 明治37・38年 (1904・1905年) | 日露戦争の際、海浜地帯に俘虜収容所が置かれる(観光スポットのページでは明治38年) | 高石市のおいたち・ 観光スポット |
| 大正4年 (1915年)1月 | 町制を施行 | 高石市のおいたち |
| 昭和28年 (1953年)4月 | 旧取石村を編入 | 高石市のおいたち |
| 昭和41年 (1966年)11月1日 | 高石市が発足 | 高石市のおいたち |
| 昭和41年 (1966年)12月20日 | 市章を制定(一般公募) | 市の花・木・市章 |
| 昭和46年 (1971年)11月22日 | 市の木・松と市の花・菊を制定 | 市の花・木・市章 |
| 令和3年 (2021年)5月22日 | 南海本線の上下線の高架化が完了(高石市内の連続立体交差事業) | これまでの経緯 |
| 令和6年 (2024年)4月6日 | 高師浜線が高架で運行を再開 | これまでの経緯 |
西暦は、市の資料の和暦から換算して併記しました。
高石市の交通:南海本線・高師浜線・JR阪和線と、高架になった区間
高石市を通る鉄道は、南海本線・南海高師浜線・JR阪和線です。南海本線・高師浜線(高石市)連続立体交差事業で、高石市内の南海本線は2021年5月22日に上下線の高架化を終え、高師浜線は2024年4月6日に高架で運行を再開しました。市は「高石・羽衣・富木3駅から大阪の中心部まで約20分」と紹介しています。
南海本線・高師浜線・JR阪和線の駅
市の「位置(地勢)」は、市内を南海本線とJR阪和線の鉄道が南北に走っていると説明し、高石駅・羽衣駅・富木駅の3駅を挙げています。南海本線の羽衣駅から分かれる南海高師浜線には、伽羅橋駅と高師浜駅があります。大阪府の浜寺公園の資料には、JR阪和線の支線(羽衣線)の東羽衣駅も最寄り駅として出てきます。
路線ごとの駅と、市町ごとのコミュニティバス・福祉バスの案内は、大阪・泉州の電車とバスの記事でまとめています。
連続立体交差事業:対象の踏切13か所がすべて除却
南海本線・高師浜線(高石市)連続立体交差事業は、大阪府・高石市・南海電気鉄道が都市計画事業として進めてきた事業で、平成9年7月に事業認可を受けました。市の「これまでの経緯」によると、平成28年5月14日に下り線が高架に切り替わり、令和3年5月22日に南海本線の上下線の高架化が完了しました。同じ日から、高師浜線は高架化工事のため運行を休止し、バスによる代行輸送を始めました(高石市「これまでの経緯」)。
高師浜線は、令和6年4月6日の始発から代行バスを終えて鉄道の運行を再開しました。市によると、この事業の対象の踏切13か所はすべて除却され、高師浜線の全線高架化で、事業の鉄道高架化はすべて完了しました。今後は高架下や高架沿いの側道の整備が続きます(高石市「高師浜線が4月6日(土曜日)始発から全線高架化・運行再開」)。
道路:府道堺阪南線・国道26号・府道和泉泉南線・大阪湾岸線
主な道路について、市は府道堺阪南線、国道26号、府道和泉泉南線、大阪湾岸線などを挙げています。
浜寺公園:明治6年開設の府営公園は堺市西区と高石市にまたがる
浜寺公園は、明治6年(1873年)12月24日に開設された大阪府営の広域公園です。大阪府の資料では、開設面積75.1haのうち、高石市側が本体側26.3ha・泉北臨海緑地8.1haで、残りは堺市西区です。最寄り駅は南海本線の浜寺公園駅と阪堺線の浜寺駅前駅で、南海本線の羽衣駅・JR東羽衣駅からは北西へ約450mです。
堺市西区と高石市羽衣公園丁にまたがる75.1ha
大阪府の「浜寺公園マネジメントプラン(案)」(令和7年4月)によると、浜寺公園の所在地は、本体側が堺市西区浜寺公園町一丁〜四丁と高石市羽衣公園丁、浜寺水路の対岸の泉北臨海緑地が堺市築港浜寺町と高石市高砂一丁目です。開設面積75.1haの内訳は、堺市西区が本体側37.0ha・泉北臨海緑地3.7ha、高石市が本体側26.3ha・泉北臨海緑地8.1haです(大阪府「浜寺公園マネジメントプラン(案)」)。
浜寺公園の公式サイトは、所在地を「堺市西区浜寺公園町」と表記しています(浜寺公園「アクセス」)。住所の表記だけを見ると堺市の公園に見えますが、高石市側にも合わせて34.4haがあります。
白砂青松の公園から、プールのある公園へ
府の資料は、浜寺公園を、明治6年12月の太政官布達により「日本で最も古い公園のひとつ」として府が設置・管理する公園として開設されたと説明しています。開設当時は白砂青松の美しい海岸線と松林が続く公園で、今も園内にその名残があると、府の資料は書いています。明治30年に南海電車が開通し、その後に海水浴場が開かれました。
第2次大戦後は米軍に接収され、昭和33年に返還されてから再整備されました。昭和36年ごろに海岸の埋め立てが行われ、その代わりにプール群が整えられました。昭和44年には、浜寺水路の対岸の埋立地に整備された泉北臨海緑地を、府が浜寺公園と一体で管理することになりました。市は、浜寺公園の松林を「名松100選」にも選ばれた松林と紹介しています(高石市「高石市の観光スポット」)。
浜寺公園の遊具や駐車場は、ほかの大阪・泉州の公園と並べて大阪・泉州の子どもと行ける大きな公園の記事で比べています。
高石市の名所:高石神社・等乃伎神社・専稱寺・高師浜駅・工場夜景
高石市の主な名所は、市が紹介する延喜式の神名帳に載る高石神社と等乃伎神社、綾井城の跡に建つ専稱寺、大正8年に建てられた西洋風の駅舎で知られる南海高師浜駅、臨海部の工場夜景です。どれも市の「高石市の観光スポット」に載っています。
高石神社と等乃伎神社
市の「高石市の観光スポット」によると、高石神社は古くは天神の社として知られ、白雉元年(650年)から鎮座すると伝えられます。平安時代の「延喜式」の神名帳に高石神社として記され、少彦名神・天照皇大御神・熊野坐三社を祀っています。
等乃伎神社も「延喜式」の神名帳に載る式内社です。市は、名前や富木という地名から続日本紀に見える殿木連との関係が想定される古社で、富木の集落一帯を殿木氏の本貫地(一族の本拠の地)とする見方を紹介しています。
綾井城の跡の専稱寺と、綾井の清水
専稱寺(高石市綾園2-2-17)のある場所には、岸和田城主和田義明の弟・綾井伝内の居城の綾井城がありました。戦国時代に沼間一族が城主となったのち兵火で焼け、玄誉上人が濠から見つけた阿弥陀如来を本尊として法堂を建てたと伝えられます。市の観光案内では、時間は9時〜17時、休みはなしです(確認)。
専稱寺の木造阿弥陀如来坐像及び両脇侍像は、大阪府の指定有形文化財です。市の文化財の一覧の備考には、お堂の中の拝観は事前の申込が必要で、山門は5時に閉まると書かれています。近くには、綾井の地名の由来とされる湧き水「綾井の清水」が、井上家の一角にあります。
高師浜駅のステンドグラスと、「浜寺」の由来の大雄寺石碑
南海高師浜駅は、海水浴場だった高師浜の玄関口として大正8年(1919年)に建てられた駅です。市によると、高級住宅地として開発された周りの街並みに合わせ、高い天井と入口の上のステンドグラスを配した西洋風の駅舎でした。市は、当時のステンドグラスは市役所で展示中で、今の駅舎のステンドグラスはレプリカと紹介しています(確認)。
高師浜線の伽羅橋駅から南へ200mほどには、大雄寺の石碑があります。市によると、南北朝時代に三光国師が建てた大雄寺を「浜の寺」と呼んだのが、浜寺の名の由来とされます。寺は残っていません。
大鳥羽衣濱神社
大鳥羽衣濱神社は、大鳥大社の4つの摂社のひとつで、摂社を合わせて大鳥五社明神と呼ばれます。御祭神は両道入姫皇女で、江戸時代には井戸守明神といわれ、社殿の前の井戸の水が神水として尊ばれたと市は紹介しています。
臨海部の工場夜景と、夕日の砂浜
高石市の臨海部には、化学工場や製油所が並ぶ工業地帯があります。市は、高石市の工場夜景を、阪神高速湾岸線から見える光景が特に印象的と紹介し、市内の見どころの例を多言語のPDFで案内しています(高石市「高石工場夜景のご案内」)。
市の観光スポットのページは、昔は「東洋一の海水浴場」といわれた「大阪最北端の砂浜」が、いまは50メートルほど残り、夕日を眺める場所になっていると紹介しています。
高石市の文化財:国の登録有形文化財2件と府指定1件
高石市の指定・登録文化財は、大阪府の一覧で3件です。国の登録有形文化財の井上良尚家住宅(5棟)と伽羅橋、府指定有形文化財の専稱寺 木造阿弥陀如来坐像及び両脇侍像で、国宝・重要文化財と市指定の文化財は一覧にありません。
| 名称 | 区分 | 所在地 | 登録・ 指定の日 | 見学の注意 (市の一覧の備考) |
|---|---|---|---|---|
| 井上良尚家住宅 (主屋・長屋門・ 蔵・油屋・茶室) | 国の登録有形文化財 (建造物) | 高石市綾園 | 2000年 9月26日 | 個人の住宅で、 敷地内には入れない |
| 伽羅橋 | 国の登録有形文化財 (建造物) | 高石市高砂3丁目 (高砂公園内) | 2008年 4月18日 | 記載なし |
| 専稱寺 木造阿弥陀 如来坐像及び両脇侍像 | 府の指定有形文化財 (彫刻) | 高石市綾園2丁目 (専稱寺) | 2014年 4月30日 | お堂内の拝観は 事前の申込が必要 |
大阪府の一覧は、国の指定・登録が令和8年3月1日、府が令和8年3月24日、市町村が令和8年9月28日の時点の内容です(大阪府「府内の指定等文化財一覧」)。高石市の一覧では、井上良尚家住宅を「井上家住宅」、5棟のうちの1棟を「茶屋」と書いています(高石市「高石市内の指定文化財」)。表の年月日は、府の一覧の値と市の一覧の和暦を照らし合わせて西暦で書きました。
浜寺公園の最寄りの南海本線浜寺公園駅の駅舎も国の登録有形文化財ですが、府の一覧では所在地が堺市西区浜寺公園町で、高石市の文化財には入りません。大阪・泉州の市町の国宝・重要文化財の件数は、大阪・泉州の重要文化財と国宝一覧にまとめています。
高石市で有名なもの:市の木・松、市の花・菊、高石漁港と大阪産(もん)名品
高石市のシンボルは市の木の松と市の花の菊で、どちらも1971年(昭和46年)11月22日に制定されました。松は、かつての高石の沿岸の白砂青松にちなみます。産業では、高師浜の高石漁港から大阪湾で漁が行われ、市内の菓子や煎茶が大阪産(もん)名品に認証されていると、市は紹介しています。
市章・市の木・市の花
市章は、高石市の「高」を図案化したもので、台の円は市民の幸福と協和を表し、その上に高石市が高度に発展することを象徴しています。一般公募で、昭和41年12月20日に制定されました。市の花の菊は、寄り添った花弁が、市民が力を合わせて住みよいまちをつくる姿を表すと市は説明しています。
高石漁港の魚と、大阪産(もん)名品
市の「漁業」によると、高石市高師浜にある高石漁港から、高石市漁業協同組合の組合員が大阪湾内で操業しています。多く水揚げされる魚は、チヌ・スズキ・イカナゴ・シラス・ブリ・タコなどです(高石市「漁業」)。
市のページ(確認)では、市内の4品が大阪府の大阪産(もん)名品に認証されています。株式会社銀装のカステラ「カステ21(青箱)」「抹茶カステラ」、つぼ市製茶本舗の煎茶「利休の詩(白)」、御和菓子司 壽屋の「かりんとう饅頭」です(高石市「大阪産(もん)名品」)。大阪・泉州のほかの特産品は、大阪・泉州の特産品一覧の記事で紹介しています。
よくある質問
Q高石市とはどんな市ですか?
高石市とは、大阪府の南部、大阪・泉州にある市で、西は大阪湾に面しています。人口は53,297人(大阪府毎月推計人口、2026年9月1日現在)、面積は11.30平方キロメートルです。北と東は堺市、南は和泉市・泉大津市に接し、1966年11月1日に市になりました。
Q高石市は何が有名ですか?
大阪府高石市について市の資料でよく紹介されるのは、白砂青松の「高師浜」の歴史、堺市西区と高石市にまたがる府営浜寺公園、臨海部の工場夜景、国の登録有形文化財の伽羅橋です。市が紹介する大阪産(もん)名品には、カステラや煎茶などがあります。
Q浜寺公園は高石市ですか?堺市ですか?
大阪府営浜寺公園は、堺市西区と高石市にまたがる公園です。府の資料では開設面積75.1haのうち、高石市側が本体側26.3ha・泉北臨海緑地8.1haです。公式サイトの所在地の表記は堺市西区浜寺公園町で、最寄り駅は南海本線浜寺公園駅のほか、羽衣駅・JR東羽衣駅です。
Q大阪府の高石市は泉州ですか?泉北ですか?
大阪府の高石市は、府の毎月推計人口の地域区分では、泉州地域のうちの「泉北地域」(堺市・泉大津市・和泉市・高石市・忠岡町)に入ります。この区分の泉州地域は堺市を含む13市町で、当サイトはこのうち堺市を除く12市町を紹介の対象にしています。
Q高石市はどんな街ですか?
大阪府高石市は、全体が平坦で東西6.1km・南北4.1kmのコンパクトな街です。大阪湾側では臨海工業用地が造成され、臨海部に工場が並びます。市は、高石・羽衣・富木の3駅から大阪の中心部まで約20分で、便利で住み良い住宅地として発展していると紹介しています。
まとめ
高石市とは、大阪府の南部、大阪湾に面した面積11.30平方キロメートルの大阪・泉州の市で、白砂青松の高師浜の歴史と、堺市西区にまたがる府営浜寺公園があります。
- 位置と呼び方:北と東は堺市、南は和泉市・泉大津市と接する。府の推計人口の地域区分では泉北地域
- 面積:11.30平方キロメートル(海面の埋め立ての面積を含む)、東西6.1km・南北4.1kmで平坦
- 歴史:和泉国大鳥郡、幕府の直轄地。明治22年に高石村、大正4年に町制、昭和28年に取石村を編入し、1966年11月1日に市制
- 交通:南海本線・南海高師浜線・JR阪和線。高石市内の南海本線は2021年5月22日に高架化を完了し、高師浜線は2024年4月6日に高架で運行を再開
- 浜寺公園:明治6年12月24日開設の府営公園。75.1haのうち高石市側は本体側26.3ha・泉北臨海緑地8.1ha
- 名所:高石神社・等乃伎神社・専稱寺・高師浜駅・大雄寺石碑・大鳥羽衣濱神社、臨海部の工場夜景
- 文化財:国の登録有形文化財の井上良尚家住宅・伽羅橋、府指定の専稱寺 木造阿弥陀如来坐像及び両脇侍像
- シンボルと産業:市の木は松、市の花は菊。高石漁港、大阪産(もん)名品の菓子・煎茶
南で接する市は和泉市とはと泉大津市とは、浜寺公園の遊具と駐車場は大阪・泉州の子どもと行ける大きな公園、電車とバスは大阪・泉州の電車とバス、国宝・重要文化財は大阪・泉州の重要文化財と国宝一覧の記事で読めます。転入の手続き、子育ての相談窓口、休日の急病の行き先は、大阪・泉州へ移住したらまずやる手続き、大阪・泉州の子育て支援まとめ、大阪・泉州の休日診療所と夜間の急病相談で市町別に紹介しています。ほかの市町の記事は大阪・泉州の地域ガイドに並べており、お店選びの記事はトップページから探せます。



高石市の人口を確かめると、市の「高石市のおいたち」の末尾には58,108人・25,103世帯とあり、これは平成28年2月末現在の値でした。大阪府毎月推計人口では53,297人・23,560世帯(2026年9月1日現在)です(に市と大阪府の公式サイトで確認)。私なら、高石市の人口を人に伝えるときは、府の推計の基準日を添えて「約5万3千人」と話します。市のページの数字は時点が古く、検索で目にする人口と食い違って見えるからです。